ホウセンの煩悩箱

相場と煩悩 うぬぼれと内省の無限反復

中景を代替するもの

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絵画の技法で「近景」「中景」「遠景」というのがあります。 「近景」を自分自身や、ごく周りの存在だと仮定して、
「遠景」が、神や仏、超越者といった大きなはたらきや存在とみるならば、近年の日本は「中景」が余りにも痩せ細ってしまっています。 「中景」が何かと言えば、地域文化でしょう。もっと言えば伝統的な生活様式、が、仏教や神道と結びつき、その地域特有の習慣をつくり、それらが実生活と宗教を結びつけるハブの役割をこれまで担っていました。

現代では、都会はもちろん、田舎であっても地域の風習は失われつつあります。その方が面倒くさいストレスが減るし、楽だから。もう元には戻らないでしょう。

日本人は無宗教を自覚する人が大半です。

しかし日本人は信仰心のかなり強い民族です。その証拠に、朝のテレビ占いに始まり、初詣、おみくじ、合格祈願、交通安全のお守り、地鎮祭等々、目に見えない存在やはたらきを敬い畏れる気持ちは程度の差こそあれ、皆身に覚えがあるはず。

それらを受けとめるクッションとしての昔ながらの地域文化が失われたことで、今の日本人は個人から直接、超越的存在とコンタクトをとろうとして、チープで薄っぺらなスピリチュアルにハマってしまうのでしょう。


「悟りました」

というユーチューバーがいて、見てみると、会員制のコミュニティへのリンクがあり、覗くと会費を払ってパワースポット巡りだの心霊体験だの、全く話にならない内容。「仏」とは「完全な慈悲のはたらきそのもの」であるから、みみっちい会費や会員集めなどしないと思う。まあ何をしようが知ったこっちゃ無いけれど、教義の確立されていない宗教はブレーキのない乗り物のようなもので、暴走するととんでもない暴力性を生む危険性を孕んでいます。
彼がカルト教団の教祖とならないことを念じるばかりです。

話がそれてしまったけど、「中景」としての地域コミュニティは以前のように活気が戻ることは期待薄ですが、それに代替するだろうと思われるモノに、「音楽」や「アート」が可能性としてあります。
これらは地域コミュニティを飛び越えてネット上で簡単に形成され、さらには地域のつながりよりも共通の興味あるコンテンツによって強固なつながりを持ちえます。

伝統的な仏教の教えそのものは興味あるけど、、
偉そうな住職のいる寺はなんとなく気軽に行けないし、小難しい話も聞きたく無い、地域のつながりも面倒だ、という気持ちは、私も含め、今の若い世代の共通項だと思います。

少しずつ、空気が変わってきているのを肌で感じています。