ホウセンの煩悩箱

相場と煩悩 うぬぼれと内省の無限反復

縁さえ整えば

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さっきメルカリで6万円で落札した抹茶碗。

二階堂明弘さんという、今飛ぶ鳥を落とす勢いの国内外から評価される陶芸作家さん。人気過ぎて買えないから、NYで個展開催中のご本人に直接メールしたら律儀にお返事くださって、7月に国内で個展やるから良かったら是非、とのこと。ますますファンになってしまい、中古市場で唯一出回っていたこの茶碗を購入した、ということです。なんかこの人の作品、素人なんですけど、後々爆発的に価値が上がりそうな匂いがするんですよね。







話は変わって、最近。ニュースでは連日園児が自動車に轢かれ亡くなった事故、海外の航空機が炎上し数十人が亡くなった事故について取り上げられています。

どちらもとても痛ましい事故で、胸が潰れるような気持ちです。残された御親族のご心中は当事者でない私には想像できないほどの悲しみや苦しみのどん底で大変困惑され絶望感を感じておられる最中ではないかと思います。

園児を轢き殺した加害者はどんな人物か…
引率者が安全確認を怠っていたんじゃないのか…

飛行機から脱出する際、自分の荷物を持って降りることに躍起となり、避難の妨げになった人物がいる、そのせいで助かる命も助からなかった…

様々な原因や状況を悪化させた要因を見聞きするうち

ふと思うのです。 「自分もやるかもしれないな…」 傍観者として加害者を道徳的・倫理的に批判・攻撃することは簡単ですが、この私にもその要素はあるのです。

真宗では
「私が人を殺さないのは心が善くて殺さないのではない。条件が整っていないから殺さないにすぎない。縁さえ整えば(条件さえ揃えば)何人でも殺すだろう」
という言葉があります。

もし私がアメリカの貧しい家に生まれ、体格も良ければ、軍に入隊して紛争地でたくさん人を撃ち殺していた、ということも十分あり得るのです。

加害者を擁護しているのでも同情しているのでもなく、「加害者はもしかすると自分だったかもしれない」という当事者意識・視点も必要だと感じています。
そしてその加害者の方も、私にもそうなる可能性があるのだということを教えてくださる仏さまのはたらきであると受け取らせていただくのです。