ホウセンの煩悩箱

相場と煩悩 うぬぼれと内省の無限反復

死の知らせは突然に

大阪にいる音響の仕事をしていた後輩が交通事故で死んだ。

まだハタチそこらだ。

親族が彼のインスタアカウントで突然の死を知らせてくれた。知らなかったが、日に日に視力の低下する病気になり、それでも前向きに生きていこうと決意を固めた矢先の出来事だったそうだ。

男前で、後輩の面倒見が良くて、礼儀正しくもフランクな、仕事のできるヤツだった。

彼とは趣味を通じて知り合ったが、趣味以外でもまた会って話したいなと思う数少ない後輩のひとりだっただけに、非常に惜しい。


僧侶の立場になって5年。

それなりに勉強しそれなりに経験を積んで、お通夜、葬儀、火葬場、四十九日、緊張もせずにつらつらと仏法の話をするようになった自分が、知らせを聞いてしばらく固まってしまう。


なんだ、全然歯が立たないじゃないか、動揺しきりだ。

いかに自分が上辺だけで、作業的に、死とはそういうもんだと分かったつもりになっていたかを知らされる。

最後にキツイこと教えてくれるなあ。






僕には息子がいた。

18トリソミーという非常に稀に発現する遺伝子異常の病気で、出産後30分で息をひきとるのを、分娩室で立ち会った。


その時と同じ。




いのちはあっけない。




しかしその時そこに確かにあって、そして過ぎ去ってゆく。



偉いお坊さんが言っていた。

無駄ないのちは一つもない。それがいい悪いに関わらず、その姿を誰かが目に映し、何かの種になる。


そんなの当たり前と思っていた言葉が、こういう出来事を手掛かりにして、忘れていた感情の引き出しを唐突に開く。