ホウセンの煩悩箱

相場と煩悩 うぬぼれと内省の無限反復

セミは夏を知らない

どの分野においても分からない事があれば「本当のこと」を知るひとの話を聞くのが手っ取り早い。

けれど、それを聞かずに(受け入れずに)自分の理解の及ぶ範囲で納得しようとしたり、自分と意見の近いひとの言うことで満足してしまったり、知ったかぶりをしてしまうひとも多い。


「本当のこと」を知るひとの中にはごく稀に、

「あなたの見ている景色と、私の見えている景色にこれくらいの違いがありますよ」

と、見えてない人を可哀想に想って(あるいは面白がって)無償で教えて下さる方がある。


しかし、それを素直に感謝し、ありがたく受け取る人は少ない。





中国の大昔の高僧に、曇鸞大師(どんらんだいし)という方がいて、人間のそんな有様を例えて



~「?蛄(けいこ)は春秋を識らず」といふがごとし。この虫あに朱陽(しゅよう)の節(せつ)を知らんや。知るものこれをいふのみ。~



と言われた。


地上に出てきたセミは夏しか知らずにその一生を終えてゆく。

それは、前後の春と秋があるということ、ましてや冬も知らない。

それだけでなく、夏が夏であるということも知らないのではなかろうか。

四季を知る者のみが、「夏」として知っているのだ。



ということを言われる。


だから、人間に生まれた一生だけをみるのではなくて、その何世にもわたって迷い続けた過去世、さらにこの命の行き先を知らねば、命を虚しく過ごしてしまう。だから、ぜひとも仏の願いに出遇ってほしい。と。



まあそれは宗教的ないのちの観点で、すごくスケールの大きい話だけど、

ものごとの実相をしろうとするならば、その生起本末、どう始まりどう今に至るのか、を知らねばならない。

自分の今の知識や信念など、余りにも狭く、脆く、吹けば飛ぶような頼りないものだろう。




月足グラフも、10年よりも30年、30年よりも50年とみた方が、より深く見れるのは、当然だと思う。