ホウセンの煩悩箱

相場と煩悩 うぬぼれと内省の無限反復

煩悩はどこまでも

生理的に受け付けない、そばにいるだけで一つひとつの言動に虫唾が走る性格・容姿の方というのは、どんなに人格者であっても少なからず存在すると思う。

ましてや自分のように偏ったクソな性格だと、敵をつくりやすいのもあいまって、接点ができても半分以上は自然と疎遠になったりケンカ別れしてしまう。


けど、お寺に入ってそれをやるわけにもいかん、ということで、なるべくにこやかに週末のお参りをこなしているが、今月末は自分のもっとも苦手なおばさんのお宅にお参りしなければならない。


自分が一番正しくて一番可哀想という前提で上から物申してくるタイプでいちいち疲れてしまう。

けど、そう思う自分こそ

「なんやこいつアホでデブなくせ自分の方が全てにおいて正しくてあなたは間違っているみたいな態度とりよって!」

と自分自身は正しいという前提の思考に陥ってしまっている。
オレも一緒やん。。





浄土真宗の開祖である親鸞聖人は最晩年、「一念多念文意」という著書にこう記している。


~凡夫というふは、無明、煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、瞋り腹だちそねみねたむ心多く間(ひま)なくして、臨終の一念に至るまで、とどまらずきえず、たえず~



私の心、というのは欲望はもとより、怒りとか妬みとかが死ぬその瞬間まで絶え間なく噴出しつづけている。この心に仏になる要素なんて、どこをどう探してもあるはずがない。(だから真宗は他力の念仏という論理)

ちょっと油断すると表層に出てきてしまう。


「分をわきまえて謙虚にならなあかん。」

というバカラさんの言葉が響いて、ずっと繰り返し呟いた。

相場も一緒だなぁ。

分をわきまえて謙虚に。

謙虚にしても抑制しても、出るもんは出るが、つつしみを覚えないとな。

「抑制された鋭利な我欲」って、すごく気に入ってます。

今年のテーマだなぁ。